今回は僕の祖父母の話を書いておこうと思います。
僕の祖父母は、大船渡市赤碕町にすんでおり
津波の被害が甚大だった地域です。
赤崎のあたりの4/16時点の様子がわかる動画があったので
紹介しておきます。
祖父は97才、祖母は90才ぐらい(だったっけ? 忘れてしまった^^;)
ここ数年は、ふたりとも動くのがとても大変で、
いつも、自分たちの部屋で二人で、椅子にすわりテレビを見たりして
毎日過ごしていました。
地震の当日も二人は部屋にいたそうで、当時は津波が家までくるとは
まったく思っていなかったそうです。
父はチリ地震津波は中学校の時に経験したそうで、必ず津波が来るとは
思ったけどこんな巨大津波だとは全く思わなかったそうですが、とにかく
地震があった当日は、靴もはかずに実家に軽トラックで向かったそうです(車で約10分程)。
赤崎の家についてすぐに「津波がくるから逃げろ」と言ったそうですが、
祖父母は「ここまでくるはずがないから」と言って動こうとしなかったそうです。
そこで父が強引に、窓から祖父母ををつれだして、
軽トラックの荷台に載せて、すぐに逃げたそうです。
赤崎の実家は一階の天井まで津波に浸かりました。
父は自分の実家が津波にのまれるのも見たそうで「本当に恐ろしい恐ろしい」
と話していました。
飼っていた犬は一旦取り残され、津波に浸かってしまったそうですが、
後から父が戻って、水の中に入っていって助けたそうです。
地震があってから津波がくるまで30、40分(って言ったかな)くらい時間が
あったそうで、それでも本当にギリギリだった、という話でした。
津波がひいて、近所の人が道に出てきて、いろいろ話を聞いたら、
津波の間、ずっとしがみついて耐えていたとか、部屋中水に浸かったが、
わずかな隙間に空気が残っていて、それで助かったとか、そういう
もっと恐ろしい体験をしたという人もいたそうで、本当に自分たちは運が
良かったと話していました。
その後、祖父母はいったん、被害にあわなかった親戚の家で数日過ごした
そうですが、いつもと違う生活が体にあわなかったそうで、
ふたりとも元気がなく、話しかけても全然反応しなくなっていたそうです。
このままでは父はボケてしまうと思ったそうで、すぐもどってきて、
赤崎の家の津波が来なかった二階で暮らすようになりました。
それでもやはり駄目だったそうで、
それから父は毎日赤崎の家に泊まりつめて夜遅くまで一階の修復作業をし、
3月の終わりだったか、4月のはじめくらいだったかには、
一階でも暮らせるようになったとおもいます。
ずっと停電で、テレビがなく、とても寒い生活だったので、発電機を
盛岡まで買いに行き、毎日夕方から、祖父母が寝る時間までつけてあげるように
したら、その時間はとても嬉しそうに笑うようになったそうです。
GW頃には電気も復旧し、床や畳は張替えられ、ガラスや障子も張替えたそうで、
祖父母が過ごしている部屋は暖かく、いつもどおり、二人で椅子に座って
テレビを見ていました。
壁などは傷んでいる感じだったし、天井は防音シートのようなもので隠されていましたが、
天井まで浸かった家とはまったく信じられず、結構普通の住まいになっておりびっくりしました。
二人ともひ孫を見て、とても嬉しそうで、元気そうで安心しました。
GWの頃はまだ水道が復旧していなかったですが、
その翌週あたりには水道も復旧し、
ボイラーを買えば風呂も入れるからやっと一安心だ、という話でした。
またお盆に帰省しますが、いつまでも元気でいて欲しいです。
僕の祖父母は父のような、半分大工のような人がいるおかげで、
昔の生活にかなり近い状態にもどることができましたが、
あのあたりの家の人は、復旧を諦め、避難所で、まったくこれまでとは違う、
酷い生活を強いられている方が多くいると思います。
親戚の家でずっと暮らしている人も多いでしょうね。
もしかしたらボケてしまった人もいるかもしれないです…
一日も早く避難所や親戚の家で暮らしている方々が
震災前の生活に戻れることを願いします。
自分でもできることをやっていきたいです。
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