自分の生まれた街、大船渡市が東日本大震災で被災し、
東京で生活している自分になにかできないかと考え、
ブログで気仙の情報などを発信して、少しでも身近な人に、
被災地の状況を伝えられたらと思ったのがきっかけです。
さて、今回、GWに実家(大船渡市盛町)に帰省してきました。
新幹線は自身の影響で混むかと思っていたら、全く逆で行きも帰りもすごくすいてました。
一ノ関から両親に車で迎えに来てもらい、陸前高田を通り、大船渡に入りました。
震災からもうすぐ2ヶ月たつというのに、
陸前高田は聞いていたとおり、見渡すかぎりずっと先まで瓦礫だけの景色が続いていました。
高田の地震の時の映像もあったので貼っておこう。
もう、なんと書いて良いかわからないです…
高田の人たちは、住田に移住する人が増えているそうです。
この瓦礫をすべて除去して、住んでいる人たちの心の傷が癒えてくるのはいつなのか…
下記は国道沿いの大船渡の様子。
大船渡は海と山がとても迫っていて、高田のような平たい街ではないので、
高田のような状況ではないですが、大船渡湾の周りはみんなこんな状況。
高校生まで生まれ育った街の惨状を見て、本当に言葉を失います。
道路だけはすべて復旧しているそうで、自衛隊は本当にすごいと両親が
感謝していました。
運転中は本当にたくさんの自衛隊の装甲車などとすれちがいます。
これからもどうかよろしくお願いします。>自衛隊の方々
下記は、自宅の付近の写真。
歩いて2分ほどの魚屋さん |
歩いて5分ほどの叔父さんの工場。外国人のボランティアの人がたくさんあつまって、すっかり片付けてくれたそうです。 |
歩いて5分くらいの農協会館。地震当時母はここにいました。何人かの方がなくなったそうです… |
歩いて5分くらいの家具と駄菓子を売っていたお店。一回が完全になくなっています。 二回にいた住人の方は助かったそうです。 |
盛に押し寄せた津波は大体このあたりで2mくらいらしいです。
時間切れなので、続きは、次のエントリーで。
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